2015-09-15 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会公聴会 第1号
私は、先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は、今では九十歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そしてその後の混乱を生きてきた方々です。そうした世代の方々も、この安保法制に対し強い危惧を抱かれています。私は、その声をしっかりと受け止めたいと思います。
私は、先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会ってきました。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は、今では九十歳です。ちょうど今の私やSEALDsのメンバーの年齢で戦争を経験し、そしてその後の混乱を生きてきた方々です。そうした世代の方々も、この安保法制に対し強い危惧を抱かれています。私は、その声をしっかりと受け止めたいと思います。
ませていただきますと、一九五一年九月末、主席様、これは金日成ですね、主席様におかれては、零時をはるかに回った真夜中に現地の軍団長に電話をかけられ、高地で戦っている戦士たちの生活と健康をよく気遣うよう懇切に教示なされた、これに鼓舞された高地の戦士たちは、祖国の高地を生命をかけて最後まで死守する炎のような誓いを固めた、そして、まさに、李何とかという人は、自分の胸で敵の火口、砲弾の口の方に行って部隊の進撃路を開き、通信兵
具体的には、恐らく通信兵も一緒に武装難民として上がってきたときに、どこどこで検問をしているとか、あるいはどこどこに警察と自衛隊が張っているからそこを迂回していくとか、そういったことすら考えなければならない。その際に、それぞれ警察と自衛隊がやりとりをする際に、その通信の秘密といいますか、傍受をされないような具体的な手段は講じられているのかどうか。
参加し訓練を受けたのは通信兵でした。しかし、十四歳、十五歳の年でありますから、使い物になりません、通信兵には。毎日、ごう掘りをしておりました。 その戦争中に私がけがを受けたのが、私の後ろ、今でも傷跡があります。それからこの左側、左側は破片であります。首の後ろ側は米軍の自動小銃であります。もう少し首を上げておったら貫通しておる。
UNTACの場合、文民警察に限りませんがその要員のための通信手段と申しますものはこれは当然UNTACの方で、UNTACの場合にはオーストラリアの通信兵が各地に配属されておりまして、これが確保することになっております。ただ、これが完全に十分かどうかということになりますと、場所によってはなかなか思うようにいかないということがあるのも事実でございます。
航空機製作所には、現役兵として海軍に入営されるまで在籍され、入営後は選ばれて呉の通信学校に第五十四期生として入学され、通信兵として服務後、昭和二十年秋に復員されました。 復員後、再び三菱重工業名古屋機器製作所に復職されました。
そのうちの一人は通信兵で非戦闘員ですから、二人つくだけで、命令系統は全部ベトナムの地上軍が持っているので、ベトナムの隊長の言うままに従わざるを得ない。彼らはイエス・サーと言って死んでいくわけです。朝鮮戦争のときも、警察行動といっているうちに死んでいったのですが、今度はアドバイスしてオーケー・サーと言って死んでいくわけです。
ただ、先般私が訪韓したときに、この問題について状況だけを聞かしてもらいたいという説明を求めましたところが、二千名派遣することになっているが、それは非戦闘員である——主として通信兵であるとかあるいは工兵のようなものではないかと思うのであります。戦乱によって道路も破壊され、橋梁も破壊され、通信施設も破壊されておる。
この検査院の報告番号一一六、百十五ページ、東京都の元陸軍少年通信兵学校でありました土地及び建物、土地が二万六千四百五十二坪、建物四千九百五十五坪、約五千坪であります。このものはこの使用料が三十七年四月から二十九年三月までの分が百三十五万円余り、これがまだ支払われていないようでありますが、これはどういう理由に基くものでありますか。
中学校二、三年生は通信兵として志願し、厳格な適性検査を受け、合格者は軍に入隊し、有線、無線、暗号、情報等の特殊教育を受け、最も重要にして危険な任務を負わされました。これら鉄血勤皇隊員、通信隊員は二等兵の階級章を与えられ、、兵器、装具、被服その他一切の給与も軍人としての処服を受けたのであります。
○政府委員(加藤陽三君) 少年通信兵とか戦車兵とかいうような名前は別といたしまして、中学校卒業程度の者を若い時からみつちり技術的に仕込みたい、そうしてそれを技術の部隊の中枢にいたしたいという考えは持つております。
○矢嶋三義君 ということは、いずれ近き将来、名前は適当でないかも知れませんが、少年戦車兵、少年飛行兵、少年通信兵、こういう恰好のものが生まれると、こういうふうに私は想像されるのですが、そういう方向にあるわけですね。
この自動車兵とか通信兵とか、その他の者はこれは二年間では無理なんであります。無理でありまして、少くとも一年ずつダブるようにとるか、あるいは三年制にして行かなければだめだ。そういう意味において現在の制度に根本的な改変をされる必要があるのではないかと考えております。御意見を伺います。
○加藤(充)委員 時間がありませんから一点だけにとどめますが、私の弟も齢三十になつたときに、通信兵の一兵士として二度目の召集を受けまして、レイテ作戰かどこかで行方不明の戰死をしてしまつたので、黒田さんにお尋ねしたいのですが、これは前の同僚委員の質問の中にもあつたと思いますが、たとえば七千人のフイリピンの服役者の中で、比島におきましては百五十名ほどの日本戰犯が収容されておつて、えらい難儀だというお話をされましたが
科学戰と言われるところの今度の戰爭に参加したようなことで、例えば飛行兵もおりましようし、電波兵もおりましようし、通信兵もおりましようし、或いはその外あらゆる工作的な方面、技術方面を研究したところの青年が沢山おる。これらは何をしておるかというと、とかくその折角持つておるところの技術を活かすような仕事は何らしていない。むしろこれらの者はこの今の敗戰になつた日本の姿に或る反應を持つておる。